私たちがつくる
福山市の
特産品「くわい」
くわいの生産量日本一、広島県福山市
おせち料理の一品として知られる「くわい」。
まん丸の実から大きく立派な芽が出ることから「芽出たい(めでたい)」とされ、また、天に向かってぐんぐんと芽が伸びる様子が立身出世を連想させることから、お正月には欠かせない食材として使われてきました。
その「くわい」生産量が日本一の広島県福山市。全国シェアは5割を超えています。「くわい」は水に恵まれた温暖な地域に育つ水生植物で、中国が原産。そこから海を渡り、江戸時代には福山市中心部を流れる芦田川沿いに自生していたと言われています。
さらに明治時代に入り、福山城のお堀に植えられたことが栽培のはじまりとされ、江戸時代に福山藩の初代藩主、水野勝成公が新田開発のために整備した用水路のおかげで、水が欠かせない「くわい」の栽培はこの地域に根付いていきました。
さて、宮地農園がある福山市南部の新涯町で、「くわい」の栽培がはじまったのは昭和30年代。
高度経済成長期を迎え庶民の食文化が豊かになり、おせち料理で「くわい」の需要が増加したことも理由として挙げられます。そして昭和40年代、国の減反政策がはじまると、稲作から「くわい」栽培に移行する農家が一気に増加。
私たちの農園、宮地農園の礎をつくった、村上哲三が栽培をはじめたのもちょうどその頃です。
さらに昭和50年代に入ると、それまで手掘りだった収穫が水圧を利用した水掘りに変わり、新涯町には100軒を数える「くわい農家」が誕生します。そして、粘土質の肥沃な干拓地からなるこのまちは、福山市でも随一の生産を誇るほどに成長しました。
ですが近年、住宅や工場の増加で畑が埋め立てられ、さらに冬場の収穫での重労働が一因となり後継者が不足。
今では新涯町の「くわい農家」は30軒程までに減少しています。
宮地農園のくわい
私たち宮地農園は、50年以上にわたり「くわい」の栽培を続けています。
周囲の農家から引き継いだ畑も徐々に増え、現在の圃場(ほじょう)※は1町4反(約14,000㎡)。その生産量は福山市内の約20%にも及びます。
※農作物を栽培するための場所
育てているのは、皮が青く透き通った「青くわい」。その深みのある色合いから「田んぼのサファイア」とも称されます。ホクホクとした食感と、噛んだ瞬間に感じる甘み、噛むほどにじんわりと広がる程よい苦味は、長い年月をかけつくり上げた土壌のおかげです。
さらに、それぞれの畑の特徴を理解し、栽培を行なっていることも大きな理由。
味わいはもちろん色や形など、毎年変わらぬ品質の「くわい」を安定してお客様にお届けできるのは、宮地農園だからこそです。
「くわい」栽培は、毎年2月、前年末に収穫が終わった畑に、鶏糞などの有機肥料をたっぷり漉き込み耕すことからはじまります。
丁寧に土づくりを行ったら水を張り、6月の終わりから7月にかけて、人の手で種の植え付けを行なっていきます。このときの種は、前年に収穫した小粒のくわい。半年間冷凍保存され、再び畑へと戻っていくのです。
その後は水を絶やさぬよう気を付けながら、草取りや追肥などを繰り返し、ようやく11月の収穫期を迎えます。12月中旬まで約40日間に及ぶ収穫もすべて人力。「くわい畑」は水田のため、寒いこの時期の作業は過酷を極めます。
それでも私たちが栽培を続けているのには理由があります。
ひとつは、宮地農園の礎をつくった村上哲三の「くわい」への情熱を受け継ぎたいという想い。もうひとつは、50年以上この地で紡がれてきた「くわい」栽培の歴史を閉ざしてはいけないという使命感。
福山市の滋味深い「くわい」をこれからの時代にも繋いでいくために、先人たちが切り拓いた「くわい」栽培を次の世代へと手渡していくために、宮地農園は、この土地に根を張り続けます。
くわいが出荷されるまで
「くわい」は収穫から出荷まで、4つの段階で作業を行います。
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1掘り出し
畑に入り、ポンプの水圧で泥を避けながら「くわい」を掘り出し、株と切り離します。
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2洗浄
作業場に運び、水槽に入れて回し洗い、泥を落とします。
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3選別
まとめてふるいにかけ、Sから2Lまでの5段階のサイズに選別します。そこでさらに洗浄します。
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4出荷
一粒ずつ目視でサイズを確認しながら、併せてスケールで測ります。さらに、不良品がないかも検品し、納得いくものだけを丁寧に箱詰めします。
宮地農園の「くわい」は、掘り出したその日のうちに箱詰めまで行い、
鮮度を保ったままお客様の元へお届けしています。